ゆるく生きてます

#10 冬がおわれば春になる、春といえば恋の季節

おはようございます。

 

日に日に寒さが増していきますね。

冬といえば12月のイメージがありますが、

もっとも寒い季節は1月だということをすっかり忘れていました。

 

さて、こんな寒い日がつづくと、人肌が恋しくなるとよく言いますが、

それは事実のようで、今わたしの周りであるものが流行っています。

 

その名も、Tinder。

 

マッチングアプリ?簡単にいうと出会い系アプリ

 

Tinderとは、さいきん巷で大流行しているアメリカのマッチングアプリです。

 

はて?マッチングアプリとは?と疑問に思うそこのあなた、

簡単にいえば出会い系アプリみたいなものです。

それをかっこよく英語にしてみただけ。

 

登録はとてもカンタン!

facebookのアカウントがあればすぐに無料で始めることができます。

 

さらにTinderの特徴は、位置情報を利用した出会い系サービスであるということ。

自分の半径数キロ以内でTinderに登録している異性の顔写真が表示されていき、

それが「好みであるかどうか」を分類することができます。

そして、お互いの好みがマッチすると通知で知らされ、

メッセージのやりとりができるようになるのです。

 

とはいえ、こんなのやってる人なんてほとんどいないんでしょ...と思うそこのあなた(二度目)、

いいえ、そんなことはありません。

今や出会い系アプリは誰にでも使える身近なものになってきています。

 

出会い系のイメージはポジティブなものになりつつある

 

かつては危険なものとしてあまり良いイメージのなかった出会い系ですが、

最近は知らない人とも気軽にコミュニケーションがとれるツールとして

かなりポジティブに捉えられることが多いようです。

 

なぜみんな安心してTinderを使うことができるのか?

その要因の一つとして考えられるのが、

Tinderがfacebokを基盤としたサービスであるということ。

facebookアカウントから登録するからこそ、下手に経歴を詐称することもできませんし、

(できなくはないけど!)

なんとfacebook上の共通の友達が表示される機能もあるのです。

気分としては、友達の友達を紹介してもらうような感じ。

これは安心ですね。

 

実際に、わたしの周りでも利用している人はたくさんいます。

 

そのほとんどが「興味本位」や「遊び感覚」でやっていますが、

なかには本当に恋人をゲットした人も。

 

本気で気になる人ができた場合は、アプリ内のチャットではなくて

LINEへ移行してやりとりをするみたいですね。

 

そして、何度かデートを重ね、見事ゴールイン。

 

きっかけが「出会い系アプリ」であったというだけで、

ほかは一般的な恋愛となにも変わりません。

 

最近では、そうして結婚していく人も増えているようで、

時代は変わったなあとしみじみ思います。

 

とはいえ、そんな簡単に出会えるわけではないらしい

 

ここまでかなりTinderのポジキャンをしてきましたが、

さすがにうまくいくことばかりでもないようです。

 

先ほど紹介した、”Tinderで恋人を作った例”はごく少数で、

実際はマッチしてチャットを送っても返ってこないことがほとんど。

(男→女の場合)

 

身近なものとなったぶん、遊び感覚で利用するユーザーも増えてきているので、

本気で出会いを求めている人には向かないアプリかもしれません。

 

まあ試しに一度やってみてはいかがでしょうか?

案外ハマるかもしれませんよ〜〜。

 

%5 自分の自分のための自分による備忘録(おまけ)

 

上中下三部作でお送りした備忘録の追記的なもの。

 

(上)

ciliegio-0416.hatenablog.com

(中)

ciliegio-0416.hatenablog.com

 

(下)

ciliegio-0416.hatenablog.com

 

公立中学に通っといてよかった、その理由とは

 

備忘録(上)で、

 

このとき、帰国生を受け入れている中高一貫の私立校へ行くことも考えましたが、

  • 高校受験は自分の実力でしてみたい
  • ”日本の給食”というものを経験したい

という理由から公立中学を選択しました。

 

いま思えば、それは本当に正しい選択であったと自信をもって言えます。

その理由はまたのちほど。

 

と語っていた、その理由をここで。

 

 

なにもここまで引っ張るほど大した理由ではない。

 

単純に、成人式に行けたことが嬉しかったからである。

 

長年海外に住んでいたわたしの唯一の悩みは、地元と呼べる地元がないことだった。

母が里帰り出産を選択したため、生まれたのは大阪。

でも父の仕事の関係上、住むことになるのは東京。

どこにもわたしの縁はなかった。

 

”地元が欲しい”と思うことは何度もあったが、願って作れるものでもない。

ずっと諦めていた。いつしかそんな願いも忘れていた。

 

しかし、先日成人式に出席して、わたしは感動したのである。

 

知り合いが、たくさんいる......!

 

  • 振袖が着たい
  • 仲の良い友達も参加する

というだけの理由で行った成人式だったが、思った以上に知り合いがいたのだ。

それはみんな、たった一年間しか通っていない公立中学でできた友達だった。

 

もしあのとき、中高一貫の私立校へ編入することを選んでいたら、

わたしはきっと孤独なまま式を終えていただろう。

 

結局その日は、成人式を楽しみ、中学の同窓会にも参加し、

夜中になっても中学の友達と地元で遊んでいた。

 

しみじみと、あのとき公立中学に通っていてよかった〜と思った出来事であった。

 

おかげさまで、わたしが夢にまでみていた”地元”を手に入れたような気がした。

 

 

この先、中学で得た関係性が続けられるかはわからない。

正直もう一生会わないだろうという人もいる。

でも、ちゃんと受け入れてもらえる場所があったってだけで嬉しかったからそれでよし!

 

これからは自信を持って、わたしの地元は〇〇です、と名乗らせていただきます。

 

 

ちゃんちゃん。

 

 

 

 

%4 自分の自分による自分のための備忘録(下)

(上)

ciliegio-0416.hatenablog.com

 

(中)

ciliegio-0416.hatenablog.com

 

いよいよ高校編、突入します。

 

距離には勝てない

 

散々、「帰国枠では受験しないから〜!!」と意地を張っていたわたしですが、

周囲からの勧めもあり、じつは2校だけ、帰国枠受験をすることになりました。

 

一つは、大学付属のA高校。

とにかく立地が良い。おしゃれ。

ミーハーな両親はひたすらここを推してきました。

 

そして、もう一つが進学校として有名なG高校。

直前になって塾の先生に受けたほうがいいと後押しされました。

帰国枠といえど難しいという噂はあったので、記念受験だな〜と軽い気持ちで願書を提出。

 

結果からいうと、どちらも受かりました。

特に後者は絶対に受からないと思ったので、本当にびっくりしました。

 

そしてわたしは、某G高校に進学することになります。

 

もともと最後の最後までわたしの第一志望は都立N高校でした。

都内で1、2位を争うトップ校で、とても自由な校風に惹かれました。

 

しかし土壇場で受かったG高校。

国立で、偏差値はN高校よりも少し高い。 

しかも、よくみてみるとN高校同様に自由な校風で、

(受かる気がなかったので、どういうところか全く知らなかった)

充実した高校生活を送れそうな予感がしました。

 

自分の実力を試したいという気持ちも強く、

都立も受験したい〜受験した上で悩みたいよ〜〜と駄々をこねましたが、

受かってしまえば必ず都立に行かなければいけません。

周囲の大人にあえなく却下され、わたしは決意しました。

 

よし、G高校へ行こう。

 

最終的な決め手は、距離です。

 

当時住んでいた家からN高校までは約40分ほどかかるのに対し、

G高校ならバスで15分で着きます。

 

海外でスクールバス登校だったわたしは、電車に乗るのがとにかく嫌いでした。

特に、満員電車というものへの耐性がなく(実は未だにない)、

N高校へ願書を出しに行くときに経験したこみっこみの電車に辟易していたのです。

 

というわけで、最終的には学校の近さという

とんでもなくしょうもない理由で高校を決めます。

 

あんなに意地を張っていたのに......と今となっては笑えますが、

当時のわたしにとっては一大決心でした。

 

コンプレックスは継続、でも......

 

結局、まんまと帰国枠を利用して高校へ入学してしまいました。

 

周りを見渡すと、英語が得意な帰国生がたくさんいて、しかもみんな頭がいい!

ますますコンプレックスが深まる〜〜〜!かと思いきや......

 

G高校の人々の対応はとても大人でした。

 

日本人学校に通ってたから英語話せないんだよね」という自虐に対し、

「大事なのは海外での経験だよ〜。普通に日本でたことないから羨ましい!」と返される。

 

な、なんて優しい人たちなんだろう。

それに、わたしの境遇をすんなりと受け入れてくれる理解力の高さ。

 

コンプレックスが完全に解消されることはありませんでしたが、

”帰国生”という枠組みに囚われることはなくなりました。

 

おかげさまで最高の高校生活でした

 

その後、わたしは文化祭実行委員に入ったりなどして

本当に充実した高校生活を送ることになります。

 

当初思い描いていた計画とはそれてしまったけど、

もしもあのときN高校を受けてたら〜なんて想像は一度もしたことがありません。

 

それくらい、G高校でできたたくさんの思い出と、そこで出会えた人々がいまは大切です。

結果オーライ。 

 

「あなたはきっとどこの環境に行っても、

いま自分のいるその環境が1番最高だと思える、幸せな人間よ」

 

とよく親から言われますが、まさにその通りだと思います。

 

幸せな人間でよかったーーー!

 

 

これでひとまず、わたしの備忘録はおしまい。

 

 

限られた環境の中で育ち、”井の中の蛙”状態だったわたしが

いろんな人の集まる大学で刺激を受けまくる話もまたいつかできたら......。

 

 

ちゃんちゃん。

%3 自分の自分による自分のための備忘録(中)

 

前回のつづきです。

ciliegio-0416.hatenablog.com

 

海外歴13年、日本語しか喋れません

 

なぜ、帰国枠で受験をしたくなかったか?

理由は単純です。

 

わたしにとって、帰国生であることはずっとコンプレックスだったから。

 

帰国子女というと、必ず聞かれるのがこの質問。

「英語喋れるの?喋ってみてよ!」

 そして、そのたびにわたしが口にしなければいけなかった言葉。

日本人学校に通ってたから全然しゃべれないよ......」

 

この瞬間が本当に苦痛でした。

 

帰国子女というだけで英語がしゃべれるだろうというイメージをつけられます。

でも実際のわたしは英語なんてほとんどしゃべれない。

かろうじでリスニングが少し得意なくらいでした。

 

みんなの期待は次第にプレッシャーに感じられるようになりました。

何よりも嫌だったのが、「日本人学校に通っていたこと」を言い訳にしてしまう自分。

 

英語が好きで努力をした結果、しゃべれるようになった人は日本人学校にもいました。

つまり、わたしが英語を喋れないのは環境のせいなんかじゃない。

ただの努力不足です。

それを言い訳のように使ってしまう自分が情けなくて仕方ありませんでした。

 

日本人学校だから苦労がない?

 

また、同じ帰国生から厳しい言葉が投げかけられることもありました。

 

日本人学校で楽してたんだから」

 

この言葉を放った彼女は、わたしと違って現地校に通っていました。

 

じつは、いまでも定期的に会うほど仲の良い親友です。

だからこそ、彼女が経験してきた苦労も想像ができます。

言葉が通じないなか、孤独を感じたときもあったでしょう。

言語を会得するのには並大抵ならぬ努力が必要だったはずです。

 

そう、彼女には彼女なりの、プライドがありました。

それゆえに出てきてしまった言葉だったのかもしれません。

 

驚きました。こんなふうに思われてるんだ、と悲しくもなりました。 

このときがたぶん、ずっと抱え込んできたコンプレックスが爆発した瞬間でした。

 

13年間も海外に住んでいたのに、わたしはなにも得られなかったのかな。

もったいないことをしてしまったのかな。

インターか現地校にでも通えばよかったのだろうか......。

 

しばらくはそんな考えがぐるぐると頭の中を渦巻いていました。

しかし、同時に怒りも湧いてきたのです。

 

なぜ、帰国生だからって英語が喋れないといけないの?

日本人学校での日々はとても楽しいものだったし、充実もしていた。

通っていたことを後悔なんてしたくないし、否定もしたくない!!

 

それに、なんの考えもなしに日本人学校へ通っていたわけではありません。

小学校に入学するとき、現地校へ行くという選択肢も存在はしていました。

でも、いずれは日本に戻ることがわかっていた両親は、そのときにわたしが苦労をしないようにと日本人学校を選んでくれたのです。

日本人なのだから、ちゃんと日本語を学んでほしい。

その両親の決断は決して間違いなんかじゃないと、わたしは思いたかった。

 

怒りは次第に悔しさへと変わっていきました。

「絶対に帰国枠では受験しない!」

もはや意地を張っていたといってもいいでしょう。

 

都立高を目指し、実力だけで高校に入学するんだ!とわたしは燃えました。

 

 

 

 

しかし実際は、なんと帰国枠で入学することになります。

(それゆえにしばらく引きずることになる、この帰国子女コンプレックス......)

 

 

つづきます。

 

ながい!!

 

 

ちゃんちゃん。

 

 

 

%2 自分の自分による自分のための備忘録(上)

あけましておめでとうございます。

 

先日、無事に成人式を迎えました。

これで本格的に大人の仲間入り。緩みっぱなしの気も、少しだけ引き締まります。

 

同窓会では、懐かしい人にたくさん会いました。

みんな、変わったようでなにも変わっていなかった。

それはわたしもです。

 

せっかくなので、今日は自分というものを振り返らせてください。

 

13年間の海外生活、そして......

 

1996年、わたしは母の実家がある大阪で生まれました。

 

そして1歳8ヶ月が経ったころ、父の仕事の関係でスペインへ行くことになります。

 (まさかそこから13年間も海外に住み続けることになるとは、誰も想像していませんでした。)

 

4カ国を経て日本に本帰国したのは、わたしが中学3年生になる春。

 

受験前という微妙な時期でしたが、ずっと日本人学校に通っていたので

勉強面での心配は一切ありませんでした。

しかし、やはり初めての日本の学校、不安は拭いきれません。

 

いじめられたらどうしよう?(日本=いじめのイメージが強かった)

 

心配性なわたし+両親で話し合った結果、

東京都内で最も帰国生の割合が多い公立中学に編入することになりました。

 

このとき、帰国生を受け入れている中高一貫の私立校へ行くことも考えましたが、

  • 高校受験は自分の実力でしてみたい
  • ”日本の給食”というものを経験したい

という理由から公立中学を選択しました。

 

いま思えば、それは本当に正しい選択であったと自信をもって言えます。

その理由はまたのちほど。

 

高校受験は待ってはくれない

 

たった一年間でしたが、日本の中学校生活はとても楽しいものでした。

放課後になると制服を着替えて再集合し地元で遊ぶこと、給食を食べること、

学校から歩いて家に帰ること、その帰り道は友達とおしゃべりをすること。

そんな当たり前のことがわたしにはすべて新鮮で、キラキラと輝いていました。

 

しかし、受験を控えた中学三年生ということで、遊んでばかりもいられません。

編入から程なくして、わたしは塾へ通うことになります。

 

前述した通り、わたしはずっと日本人学校に通っていました。

日本人学校では、日本と全く同じ教育を受けることができます。

いや、むしろレベルは日本よりも高いくらいでした。

 

海外ではテレビを見ることもないし、ゲームだって簡単に手に入らない。

わたしが読書を好きになったのも、それくらいしか娯楽がなかったから。

(本は学校の図書室で借りることができました)

 

勉強をする時間はたくさんあったのです。

 

日本に帰ってきたわたしの成績は、そう悪くはないものでした。

夏頃に、都立のトップ校を目指すくらいには。

 

このころのわたしの口癖は、

絶対に帰国枠で受験しない!」でした。

 

なぜ、頑なまでに帰国枠を忌み嫌っていたか。

つづきは次のブログで語らせていただきます。

 

長くなってしまったので、今日はとりあえずこのへんで。

 

 

ちゃんちゃん。