%2 自分の自分による自分のための備忘録(上)
あけましておめでとうございます。
先日、無事に成人式を迎えました。
これで本格的に大人の仲間入り。緩みっぱなしの気も、少しだけ引き締まります。
同窓会では、懐かしい人にたくさん会いました。
みんな、変わったようでなにも変わっていなかった。
それはわたしもです。
せっかくなので、今日は自分というものを振り返らせてください。
13年間の海外生活、そして......
1996年、わたしは母の実家がある大阪で生まれました。
そして1歳8ヶ月が経ったころ、父の仕事の関係でスペインへ行くことになります。
(まさかそこから13年間も海外に住み続けることになるとは、誰も想像していませんでした。)
4カ国を経て日本に本帰国したのは、わたしが中学3年生になる春。
受験前という微妙な時期でしたが、ずっと日本人学校に通っていたので
勉強面での心配は一切ありませんでした。
しかし、やはり初めての日本の学校、不安は拭いきれません。
いじめられたらどうしよう?(日本=いじめのイメージが強かった)
心配性なわたし+両親で話し合った結果、
東京都内で最も帰国生の割合が多い公立中学に編入することになりました。
このとき、帰国生を受け入れている中高一貫の私立校へ行くことも考えましたが、
- 高校受験は自分の実力でしてみたい
- ”日本の給食”というものを経験したい
という理由から公立中学を選択しました。
いま思えば、それは本当に正しい選択であったと自信をもって言えます。
その理由はまたのちほど。
高校受験は待ってはくれない
たった一年間でしたが、日本の中学校生活はとても楽しいものでした。
放課後になると制服を着替えて再集合し地元で遊ぶこと、給食を食べること、
学校から歩いて家に帰ること、その帰り道は友達とおしゃべりをすること。
そんな当たり前のことがわたしにはすべて新鮮で、キラキラと輝いていました。
しかし、受験を控えた中学三年生ということで、遊んでばかりもいられません。
編入から程なくして、わたしは塾へ通うことになります。
前述した通り、わたしはずっと日本人学校に通っていました。
日本人学校では、日本と全く同じ教育を受けることができます。
いや、むしろレベルは日本よりも高いくらいでした。
海外ではテレビを見ることもないし、ゲームだって簡単に手に入らない。
わたしが読書を好きになったのも、それくらいしか娯楽がなかったから。
(本は学校の図書室で借りることができました)
勉強をする時間はたくさんあったのです。
日本に帰ってきたわたしの成績は、そう悪くはないものでした。
夏頃に、都立のトップ校を目指すくらいには。
このころのわたしの口癖は、
「絶対に帰国枠で受験しない!」でした。
なぜ、頑なまでに帰国枠を忌み嫌っていたか。
つづきは次のブログで語らせていただきます。
長くなってしまったので、今日はとりあえずこのへんで。
ちゃんちゃん。