ゆるく生きてます

%4 自分の自分による自分のための備忘録(下)

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いよいよ高校編、突入します。

 

距離には勝てない

 

散々、「帰国枠では受験しないから〜!!」と意地を張っていたわたしですが、

周囲からの勧めもあり、じつは2校だけ、帰国枠受験をすることになりました。

 

一つは、大学付属のA高校。

とにかく立地が良い。おしゃれ。

ミーハーな両親はひたすらここを推してきました。

 

そして、もう一つが進学校として有名なG高校。

直前になって塾の先生に受けたほうがいいと後押しされました。

帰国枠といえど難しいという噂はあったので、記念受験だな〜と軽い気持ちで願書を提出。

 

結果からいうと、どちらも受かりました。

特に後者は絶対に受からないと思ったので、本当にびっくりしました。

 

そしてわたしは、某G高校に進学することになります。

 

もともと最後の最後までわたしの第一志望は都立N高校でした。

都内で1、2位を争うトップ校で、とても自由な校風に惹かれました。

 

しかし土壇場で受かったG高校。

国立で、偏差値はN高校よりも少し高い。 

しかも、よくみてみるとN高校同様に自由な校風で、

(受かる気がなかったので、どういうところか全く知らなかった)

充実した高校生活を送れそうな予感がしました。

 

自分の実力を試したいという気持ちも強く、

都立も受験したい〜受験した上で悩みたいよ〜〜と駄々をこねましたが、

受かってしまえば必ず都立に行かなければいけません。

周囲の大人にあえなく却下され、わたしは決意しました。

 

よし、G高校へ行こう。

 

最終的な決め手は、距離です。

 

当時住んでいた家からN高校までは約40分ほどかかるのに対し、

G高校ならバスで15分で着きます。

 

海外でスクールバス登校だったわたしは、電車に乗るのがとにかく嫌いでした。

特に、満員電車というものへの耐性がなく(実は未だにない)、

N高校へ願書を出しに行くときに経験したこみっこみの電車に辟易していたのです。

 

というわけで、最終的には学校の近さという

とんでもなくしょうもない理由で高校を決めます。

 

あんなに意地を張っていたのに......と今となっては笑えますが、

当時のわたしにとっては一大決心でした。

 

コンプレックスは継続、でも......

 

結局、まんまと帰国枠を利用して高校へ入学してしまいました。

 

周りを見渡すと、英語が得意な帰国生がたくさんいて、しかもみんな頭がいい!

ますますコンプレックスが深まる〜〜〜!かと思いきや......

 

G高校の人々の対応はとても大人でした。

 

日本人学校に通ってたから英語話せないんだよね」という自虐に対し、

「大事なのは海外での経験だよ〜。普通に日本でたことないから羨ましい!」と返される。

 

な、なんて優しい人たちなんだろう。

それに、わたしの境遇をすんなりと受け入れてくれる理解力の高さ。

 

コンプレックスが完全に解消されることはありませんでしたが、

”帰国生”という枠組みに囚われることはなくなりました。

 

おかげさまで最高の高校生活でした

 

その後、わたしは文化祭実行委員に入ったりなどして

本当に充実した高校生活を送ることになります。

 

当初思い描いていた計画とはそれてしまったけど、

もしもあのときN高校を受けてたら〜なんて想像は一度もしたことがありません。

 

それくらい、G高校でできたたくさんの思い出と、そこで出会えた人々がいまは大切です。

結果オーライ。 

 

「あなたはきっとどこの環境に行っても、

いま自分のいるその環境が1番最高だと思える、幸せな人間よ」

 

とよく親から言われますが、まさにその通りだと思います。

 

幸せな人間でよかったーーー!

 

 

これでひとまず、わたしの備忘録はおしまい。

 

 

限られた環境の中で育ち、”井の中の蛙”状態だったわたしが

いろんな人の集まる大学で刺激を受けまくる話もまたいつかできたら......。

 

 

ちゃんちゃん。